5月18日
最初は一人で行くつもりだった。それが、子供の「おとうは怠けもんやから3、4軒廻ってあかんかったら、すぐ嫌になって
あとはビールを飲んで、ずーっとパリで寝たきりという事が充分考えられるからオカンが一緒に行って尻叩かなあかんで」
という一言でオカンことAと一緒に行くことになったのだ。
そんなに多くの作品を持っていくつもりはなかった。10号位の絵をキャンバスの木枠から外して、ベニヤ板にでも止めて
出来るだけ荷を軽くして行くはずだったのだ。それが、「木枠から外さん方がええ」との言葉でまあ二人で行くのだからと
そのままの形で持っていくことにした。
抽象画を主体にしたかったので、新しいもの5,6点とあと具象画数点というくらいのつもりだった。とりあえず自分でいいと
思うものを入れて見て、後で省こうと思って入れた。その重い荷物をオカンのAがひょいと提げ「なんやらーくらーくやん
こんなん一人で持てるわ」といったものだから、それならと言う事で「自分で自信のある作品は、一回個展が出来るくらい
持って行こう」という事になり、後で後悔する大荷物となったのである。
その大荷物を持って義父にJRの駅まで送ってもらい、始発電車で関空へと着いたのである。ここらへんは楽であった。
荷物はカートに載せ搭乗手続きを済ませる。荷物を渡してしまうと、後は手荷物だけだから軽いもので、−−なんせ関空
へ来るのも初めてである。フランの円の換算率はいくらだ、とか「オー、ヒコーキが一杯だ」とか、挙句は記念にとプリクラ
まで撮るハシャギようである。
そうこうしているうちに、出発1時間前となった。ゲートを入り出国手続きの所へ並んでいた。ずい分な列である。暫く並ん
でいるうちにAが「出国カード」というものがいるらしいということに気づいた。なにしろ初めての海外旅行でしかも個人旅行
である。まったく勝手が分からないのだ。−−どうも必要らしい出国カード。そういえば横にそのような物が置いてあるよう
だ。もう30分前位だがそれが必要なら書かない訳には行かない。慌てて列を離れ「出国カード」に記入する。慌てている
のでなかなか上手くいかない。何とか記入して再び列に並んだ。列は遅々として進まない。時間は迫ってくる。とても30分
位で出国ゲートをくぐれそうに思えない。ヒコーキは出てしまうのである。思い余って後方にいる係りの人に、「遅れそうな
んですが何とかならないでしょうか。」と聞いて見る。「列の前の人と交渉してもらうしかないですね。」という返事。
最前列へ行きおばちゃんに頼んで見る。「私も30分後のに乗るしねー。」という冷たい返事。「ああーー」と途方にくれかけ
たその時。「どうぞいいですよ。」という神様のような暖かいお言葉をその次のおじさんが掛けてくださった。平身低頭お礼
を言い「入れてくれはるってー」とAを呼んだ。出国手続きを済ませると走った走った。あまり走るものだから係りのおねえ
さんが「大韓航空はまだ大丈夫ですよ。」と声をかけてくださった。それでも走った。
やっとヒコーキに乗り窓際の席に座った。一安心、これで兎に角乗り遅れずにすんだ。と思っているのにヒコーキはいっこ
うに出発しない。なんと出発が30分以上遅れたのだ。何のために息せき切らせて走りに走ったのだ。
「ま、乗り遅れるよりはましか。」と思い直す。
やっと出発。助走から飛び上がる時が、緊張する。「離陸に失敗、炎上。」などという記事がフッと頭をよぎったりする。いか
ん、悪い事は考えないようにしよう。ブォブォブォブォゴゴー、と地面を離れる瞬間はGも掛かり、シートベルトを締めている
のでなかなか爽快で迫力がある。
途中スチュワーデスのお姉さんが何やらカードを持ってくる。一応もらってみる。どうも韓国への入国カードらしい。よく分か
らないでいると、「トランジット?」と聞いてくる。−−トランジットとは乗り継ぎのことだろう。−−そうだと言うと、いらない
らしい。ソウル着。遅れていたのでパリ行きの13時30分まで1時間位しかない。韓国のお金は持ってないのでジュースも
買えない。(帰りに円を使える店もあることを知るが、、)
暫く待ってパリ行きの便に乗り込む。これからが長い10何時間なのである。中国北京上空からモンゴル。ロシアの何とか
スクから、かんとかスクを通りいやになるほどの時間座ったままで、、そして日はずっと暮れることなく18時40分(パリ時
間)シャルル・ド・ゴール空港に着いたのである。